四代将軍家綱の時代



家光の長男として生まれた家綱

母・お楽の方は家綱が12歳の時に、32歳でこの世を去りました

家綱が将軍になったのは11歳の時

幼い将軍だったため、世の中は雲行きが怪しくなり、由井正雪の乱などが起きていた

重臣である松平伊豆守信綱や大老・酒井忠勝などの労力により、なんとか世情をもちなおしていた

が、肝心の将軍家綱は病弱であり、大奥にて大事に育てられていたのであった


御台所 顕子
顕子は名門公卿の娘です

将軍の正室は京都からということとなり、選ばれました

家綱17歳 顕子が18歳の時に結婚しました

が、結婚した頃の家綱はすでに数多くの女性と関係を持っており、顕子との仲はうまくいくことはなかった

寂しい生活の中、37歳でこの世を去ってしまいました

乳母 矢島局
家綱の乳母である矢島局

御年寄の地位におり、憧れの人は春日局

本来ならば家綱の教育をしなければならないのに、その地位を利用して自分の権力を欲しいままにしていた

そして家綱の側室に、自分の娘お島を与えた

が、娘は子供を産まなかったために自然に権力が衰えていった

側室 お島の方
乳母である矢島局の娘

美人な上に信頼のできる乳母の娘であることから寵愛を受ける

が、お島は子供を産むことがなかったので、後に旗本の元へ妻として下げられてしまった

お振の方
乳母である矢島局の対抗馬に飛鳥井という上臈御年寄がいた

御台所に従って京都からやってきた女性であります

そして矢島局の対抗勢力として権力を発揮していました

この飛鳥伊の部屋子だったのがお振の方であります

当時17歳で、京都から従ってきた美少女でありました

さらに心も優しかったため、「生きた吉祥天女」とまで噂されるほど

そんな女性を家綱がほっとくわけがなく、すぐさま寵愛を受けるようになりました

そして懐妊。子供がいなかった家綱は大喜びでしたが、妊娠中に熱病に

優れた名医を三人も呼び、治療させましたが治らず、19歳で死去してしまいました

お満流の方
どうやって大奥にきたかは謎

家綱が37歳の時に手をつけたらしい

家綱はお振の方が死んでしまいショックを受けていたため、このお満流の方を寵愛した

そして妊娠

家綱はまだ子供が1人もいなかったので大喜び

が、残念なことに流産してしまった

こうして家綱は1人も子供を授かることがなかった